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平日は病院でへんてこな病棟実習を行っていたが、休日はテッサロニキ近郊に出かけたりと遊び呆けていた。

ある土曜日。
チェコ人オルガと一緒に、テッサロニキから近いリゾート地であるハルキディキ半島へ出かけた。

Google Earthにて。この大きな半島がハルキディキ半島。
半島からは更に下向きに3本の指みたいな半島が出ている。出かけた場所は黄色の囲み辺り

ハルキディキ半島


9:00 街中から少し離れた場所にある半島行きのバスターミナルからバスに乗り込んだ。

まず、「ぺトラルナの洞窟」へ行くため、「エレオホーリア」を目指す。

テッサロニキ→エレオホーリアのバスチケット 2.25ユーロだった クリックで拡大します
バスチケット


「ぺトラルナの洞窟」とは、この周囲の観光名所の1つであるが、
実はエレオホーリア駅から徒歩4km・・・。

徒歩4kmというのは最初あまりピンと来なかったが、オルガ曰く、普通に歩いて1時間はかかるとのこと。
私たちは元気に歩き出した。

のどかな風景
ぺトラルナ洞窟までの道

けしの花らしい この頃はインスタントカメラだったのでイマイチ・・・
けしの花


しかし、炎天下の中、たった30分程度の徒歩で、私たちは周りの風景にも飽き出してしまった。

オルガはヒッチハイクを始めた。
しかし、この道はあまり車が通らず、しかも(というかやっぱり)なかなか止まってくれない。

ようやく1台の古い車が止まった。中には大工さんみたいなおじさんが乗っていた。ぺトラルナ洞窟まで乗せてくれるという。
車はものすごくポンコツで、中は使い古した道具など満載で、正直汚かった。
しかし、英語を話せないおじさんだったが非常にいい方で、無事洞窟まで連れて行ってくれた。

ぺトラルナの洞窟は1500mという長い鍾乳洞があるところであり、以前ネアンデルタール人の頭蓋骨が見つかって有名になったとのこと。
日本でいうと、やはり秋吉台みたいな雰囲気だったと思う。ところどころ水がポタポタ落ちてきた。
英語のガイドさんが案内してくれた。写真は撮影できなかった。

博物館が併設されていたが、あまり印象に残っていない・・・。

洞窟前から見渡した風景
洞窟前から見渡す



ぺトラルナ洞窟までやってくるバスも少ないながらあるものの、見学終了時はちょうど出たばかり。
仕方がないので、再び4kmの道のりを引き返すことに。

途中、車が一台私たちの前に停車。
行きに乗せてもらった車!
さっきのおじさんが用事を済ませて引き返してきた。

また乗せてくれるという。

ありがたく乗せていただく。
よく考えたら外国の女2人で危ないことをしてたもんだ・・・。

12:45 エレオホーリアバス停に無事到着。
しかし誰もいない。
おじさんが来たのでバスの時間を聞くと、14:30まで来ないという。
周りには少しの民家があるのみで、他に何もない。
仕方ないので待ち続ける。
あんなに射していた日が陰り、急に冷え込んできた。
あまりに寒いため、紛らわすために歌を歌いながらバス停の周りを走り回った。

このバス小旅行から、
「旅行では、待ち時間にもひたすら耐えるべし」
という教訓を得た。
日本みたいにポンポン頻繁に列車やバスが来る所なんてそんなにない。
むしろこんな風にのんびりとした日程でしか進まない旅行が多いはず。そんなのんびりとした時間の合間に、タイトなスケジュールでは見つからない面白い事が見つかるんだと思う。

15:00前、ようやく来たバスに乗り込み、ネア・カリクラティアという海岸沿いのリゾート地へ向かう。
そういえば、おじさんもバスを2時間ずっと待ってたなあ・・・。

2006.11.25 / Top↑
ギリシャに着いてすぐ、実は私は誕生日を迎えた。
到着日にふとしたきっかけでこのことが判明したため、地元でお世話してくれていた学生の皆さんは、急遽誕生日パーティーを計画してくださった。

うれしい・・・。

旅立ち前から寂しい誕生日を想像していた私は、本当にうれしかった。

誕生日パーティー(正確にいうと、私ともう1人の留学生オルガの歓迎パーティーを兼ねている)では、それぞれの国の料理をひとつ作ることが要求された。

私はこれぞ日本料理である「肉じゃが」を作ることにした。

実は、醤油はスーツケースの中に隠し持っていた。
たぶん、「日本食がなかったら向こうで辛い思いをするに違いない」と思って小さな醤油を持参していた(でもこのときしか使わなかった)。

近所のスーパーで他の材料を手に入れる。
肉は・・・そういえば、こま切れなんて売ってないか。
牛肉売り場ではレンガみたいな赤身肉の塊が、でーんと置かれているのみだった。
これを購入。

調味料売り場では、・・・やはり「みりん」はない。
砂糖は、日本でいう「三温糖」に近い感じの茶色の砂糖があった。
これは合格。
ダシもなし。日本酒もあるわけないか。

しょうがないから、肉じゃがの味付けは「醤油」と「砂糖」のみとなった。

野菜はにんじん、メークインじゃがいも、たまねぎをゲット。

肉ブロックをナイフで薄く切ったが、どうにも日本で買っていた肉じゃが用の肉の姿には程遠い。やはり部位が違う。

途中で半ばやけくそになってきた。

どうにか完成。
味は・・・薄い上に、

とりあえず味がついてます

といった感じの、深みも何もないもの。

恐る恐るテーブルに出したが、
まあ、普通に食べてもらえた。

問題の肉じゃがはワイン左隣の鍋の中 クリックすると拡大します
パーティーの食事風景


「本当はこんな味じゃないのよ」
と、しきりに訴えておいた。
後になって、「こないだ日本からの留学生が日本料理作ってくれたけど、あれはイマイチだったねえ。」なんて会話になってたら日本の人々に申し訳ない・・・。

一方、チェコからの留学生オルガは、「ボランボラーケ」というじゃがいもとガーリックで作ったお好み焼きのような料理を披露してくれた(写真では、ワインの前にある料理)。
本当においしかった。
材料は完璧にオリジナル通りのものが手に入ったらしい。


ちなみに、右の男性前にあるお皿には「お箸」がある。
これは、私が現地の人々に向けてお土産として日本から持参したもの。
百円均一で大量購入して皆に配った(せこい)。

皆には難しくて使えないだろうと思い、得意げに
「こうやって使うのよ~」
と教えたところ、

意外と皆すぐに上手に使えるようになってしまった。
肉じゃがも軽々(笑)。

ちょっとショックを受けた。

2006.11.25 / Top↑
ギリシャの人々の名前は、実はあまりバラエティがない。
ギリシャ人はギリシャ正教徒が多く、名前はキリスト教の聖人やギリシャ神話にちなむものが多いようだ。

例えば、病院の女医さん「アスィナ(AθINA)」は女神アテナ。
多い名前は、男性ではコスタス、女性はエレニィ、アンナなどらしく、テッサロニキ滞在中、いずれの名前の方ともお会いしました。
今日本でよく見られるような「独創的で奇抜な名前」というのはないようです。

そして、その「聖人の名前の日(ギリシャ語で「ヨルティ(γιορτή)」というらしい)」というのがそれぞれに存在し、その日はお誕生日と同じくらい重要になる。

つまり、

年に2回も祝ってもらえる!


友人の実家のあるラリッサという街を訪れたときのこと、ちょうど17歳くらいの妹の「名前の日」の祝いがあった。
肝心の妹の名前は忘れてしまった。
あだ名でマーニャと呼ばれていた。

名前の日の前日には、お母さんが夜遅くまでたくさんのお祝い用の料理を作っていた。
当日は日曜日。
主役のマーニャは服を新調し、おしゃれに決めている。
皆でそろって教会へ行くと、近所の人々からは

「ホロネポラ!(Χρόνια πολλά)」

と盛んに祝いの言葉を投げかけられていた。

家に戻ると多くの親戚が集い、妹にプレゼントを手渡した。豪勢な食事とデザート。
近頃の日本では誕生日でも見かけないような、親戚一同総出のパーティー。

うらやましい・・・。

皆に囲まれてお祝いされていた彼女は、私に向かって

「年に2回も祝ってもらっておトクよ~」

とのたまった。

ちなみに、田舎の方は皆盛んに教会に通っているように見えた。
しかし、都会のテッサロニキに出てきている友人に
「教会って毎週日曜に行ってるの?」
と聞くと、

「実家では行かされるけど、こっちでは行かない」

どうも、都会に出てくると都会の生活になるようでした。

テッサロニキ市街 路上駐車が多い
テッサロニキ市街



2006.11.23 / Top↑
病院への通勤にはテッサロニキ街中から出発する公共バスを利用。
平日は毎日利用するため、定期券を購入。

もちろん、テッサロニキに到着したばかりの私には一人で買う実力はなく、交換留学受け入れ先の地元の学生が一緒に購入してくれた。

左側には顔写真が入る 学生料金で1ヶ月22ユーロらしい
バスの定期券



毎日乗り続けたバス。
ゆえに、この頃つけていた日記には、毎日のようにバスの話が書かれている。


想像通り、バスはあまり定刻には来ない。
でも、朝はバスが頻繁に出ていたため、少しゆとりを持って行動していればあまり困ることはなかった。
毎日同じバスに乗っていると、最初は興味深くまじまじと見つめていたおじちゃん、おばちゃんたちも、次第に慣れてきたようで目が合うことは少なくなっていった。


ある日、病院前のバス停のベンチ横に立って、帰りのバスを待っていると、

いきなり右のふくらはぎに何か触れる。

驚いて振り返ると、
いつも循環器内科病棟を掃除しているおばちゃんがニコニコ微笑んでベンチに座っていた。

8分丈のズボンから少し出た私の足をなでている。
生足ではなく、ストッキングを履いていたんだけど・・・。

「これは親愛の表現か?
それとも単なるチカン??
でも、相手はおばちゃんだし・・・。
ストッキングはそんなに珍しくないよね?」


むげに手を払いのける訳にも行かず、困った挙句、愛想笑いの上、

1分くらいの間、なでられ続けた。


バスが来ると、すぐにおばちゃんとは遠く離れた席へ座る。

ドキドキして様子を伺っていたが、おばちゃんは何事もなかったかのようにあるバス停で下車していった。

今でもこの行動は謎のままです。

去り行くバスから見た病院
バスから見た病院


2006.11.19 / Top↑
長くお送りした「アンコールワットの旅」が終了したため、以前少しお送りしていました「ギリシャ留学体験記」を続けることにします。
以前の記載よりかなり時間が経ちますので、カテゴリー別にご覧になることをお勧めします。


世間一般にあまりなじみ深くない、ギリシャ北部の街「テッサロニキ」に学生時代(4年半前)に留学し、1ヶ月通いつめた「パパゲオルギウ病院」。

Google Earthで場所をお示しすると、
テッサロニキを上から眺めた図
テッサロニキ概観


「バス停」が街中にあり、ここからバスに揺られて山の上の病院まで通う。途中で1度の乗り換えあり。直線距離にして約5km。遠い。

パパゲオルギウ病院(ちなみに座標は 40°40'35.30"N 22°57'49.20"E)
隣にはショッピングモール「カルフール」があった

パパゲオルギウ病院


左には十字マークのついたヘリポートらしきものも見られ、大きな総合病院だということが想像できる。


病院の朝は早い。というか、ギリシャ全体で朝の始業時間が早いという。
7時頃から既に仕事が始まっているらしい。
気になる朝食は、自宅ではあまり摂る習慣がないのか、道端で売られている「クルーリ」というドーナツみたいなゴマのかかったパンを食べ歩きしている人も見かけた。

私は8時に病院に来るよう言われた。
以前お伝えした、8時過ぎからの朝の回診(血圧・心電図とり)が終了すると、

休憩

病院内のカフェでみんなでお茶をする。皆、片手にはチーズがたっぷり入ったパイを食べている。
もちろん昼食ではなく、「10時のおやつ」といわれるものだ。
私も勧められ食べたものの、すごいボリュームであり、「夕方まで食事はいらん」、と思った。

10時のおやつで気合を入れた後、病棟業務を再開するが、
13時半頃には病棟業務は終わり、退院した患者さんに行った検査や病状などを記載する「退院サマリー」などの事務作業が始まる。

つまり、1日の仕事は昼過ぎには終了。

日本の循環器内科では考えられないゆとりであった・・・。
今から考えると、暇な時期だったのかもしれない。

施設は新しいだけあり素晴らしく、カテーテル検査を行う部屋がひとつあり、1日中稼動していたと思う。しかし、心臓超音波検査を行うエコーの機械は病棟では見かけなかった。患者さんの急変時にはどうするのか・・・。

女医アスィナ先生は、10時のおやつ以外にも控え室でばくばくおやつを食しており、まだ20代で若いはずだが、その体格は徐々におばちゃん化しつつあるようだった。
しかし、キャラは非常に明るく、

大阪のおばちゃん

を思わせ、懐かしさを覚えた。

循環器内科病棟入り口
右の扉には「カルディオロディキ クリニキ(循環器病棟)」と書かれている

循環器病棟入り口

2006.11.18 / Top↑