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平成14年の春休み、フランクフルトから関空に向かうルフトハンザ航空機内。
私は個人旅行から帰るところで、一人感慨にふけりながら座っていた。

機内は結構がらがらで、窓際は2席を一人で使える優雅な空間。
「これから日本に帰ってまた現実に戻るのか・・・」
それまでの旅を思い返し、静かに過ごしていた。


と思ったら、すぐ後ろの席が騒がしい。

「・・・お客様、機内では持ち込みのワインは開けられません。」

振り返ると、年の頃は30代半ばの男性が一人。出張帰りのようだ。
乗ったときから既にほろ酔いで陽気。

彼は持ち込みのワインはあきらめ、乗ってまもなく配られた食事と共ににウイスキーやワインをしこたまおかわりしていた。

イヤな予感がした。


消灯後、酔っ払った彼はついに活動を始めた。
隣の席にぶつぶつ話しかけている。迷惑そうに応答する人々。

そのうち、私のシートを背中からノックしてきた。

「あのー、ここはどこでしょうか」

振り返ると、へらへら笑う男。

ムッ

「さあ、ロシアの上じゃないですか」
とそっけなく答えて、前を向く。

その後、うとうとしていると、上げていた2席を分けるひじ置きが
いきなりバタンと倒れてきた。

驚いて後ろを見ると、例の男がひじ置きに手を置いている。

「何するんですかっ」

「あの~、ひじが~、バタン・・・
ふふふ」


ムカッッ

無視して前を向く。

その男はその後トイレに立ったが、何分経っても帰ってこない。

と思ったら、
「お席はこちらですよー」
乗務員と共に懐中電灯で案内されながら戻ってきた。

その後もごそごそしていたが、
到着直前の朝食時にようやく睡眠されたようだ。

おかげでもっと寝られるはずが、
寝不足でへろへろになりながら帰宅したのでした。


素敵な旅の最後が、こんな酔っ払いのために・・・・
と思うと、怒りがこみあげてきて仕方なかったが、
今となってはこちらもふふふと笑える思い出である。
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2006.09.30 / Top↑
バスで「タ・カエウ」という遺跡のそばをすっ飛ばして(未完成だから、という理由らしい)、

いよいよ、遺跡よりも自然が主導権を握る「タ・プローム」に到着。
他の遺跡と比べ一風異なるため、ファンは多いようです。

長い参道を抜けると、西塔門に出る。

入り口からしてがれきの山
タ・プローム入り口


今まで見てきた遺跡は、古いながらも整備されていてきれいだったけれども、これはまだ整備されていないらしい。まだまだこれから補修される遺跡のひとつとか。

よって、石が崩れ落ちてボロボロ。

うわあ、ボロボロ
がれきの山


しかし、こんな
遊び終わった後のレゴブロックみたい
にバラバラになった石を、
どうやって元通りに戻すんでしょう。


更に、ガジュマルの仲間であるスポアンという木が遺跡の上に生えまくっている。

屋根の上からもびろーんと根っこ
木の侵入

人気スポット。観光客でいっぱい。
網目の根っこ


ガイドさん曰く、木は既に建物の石と石の間に根を張っているため、木を取り除くと建物の崩れてしまうらしい。

でも、木をこのまま放っておくと、木の重みで建物は更に崩れる一方。

つまり、
崩れ落ちる前に、今この目に焼き付けるしかない
のかもしれません。


自然が支配するタ・プロームは観光客が多い割には静かで日陰も多く、ちょっとしたオアシスのようでした。

これで初日午前の見学は終了。
お食事へと向かいます。
2006.09.29 / Top↑
「ピミアナカス」から数分歩くと、丘が見えてきた。
その丘を越えると、「ライ王のテラス」となる。

ライ王の像。しかしレプリカ。
ライ王


「ライ王」は王の名前ではなく、病気の名前をつけてあるようです。
12世紀頃作られた王の像が時代を経て様変わりしたため、後世にそう呼ばれるようになったそうです。


テラスを降りると、その壁には

ライ王のテラス

恐ろしい数の神々

ライ王のテラスどあっぷ


ガイドさん曰く、神々や阿修羅たち大勢で裁判をしているところだそうな。


アンコールワットとその付近の遺跡群を見て共通して驚くのが、
壁という壁に埋め尽くされた非常に細かな彫刻。

「隙間恐怖症」

のように思えました。
いったいどうやって彫刻してたんでしょう。
しかし、隙間を埋め尽くすという手段により、一層ものすごい迫力となって何かが私たちに伝わってくる気がしました。


ライ王のテラスの隣には
「象のテラス」

鼻の先にはハスの花が絡まっている
象のテラス


左右に3本ずつあるのは象の鼻。

実はこの鼻のところに立って写真を撮るのが、旅行前から密かに楽しみだった。
象って難解な歴史や伝説に関係なしに「かわい」くてわかりやすい動物だから、ほっとする癒し系の存在である。

ここで母ときゃっきゃ言いながらパシャパシャ写真撮影していると、いつの間にか召集がかかり、気づいた時には他のメンバーは皆バスに乗り込み終わって中からこちらを見ていた。
引きずられるように慌ててバスに乗り込むのでした。
2006.09.28 / Top↑
バイヨンを後にし、アンコール・トム敷地内を徒歩で移動。

隣に「バプーオン」という建造物があるものの、工事中であるため素通り。
更にその隣には「ピミアナカス」という建造物があるが、こちらも写真のみとなる。

ピミアナカス
ピミアナカス


午前中にこの付近の遺跡を回らなければならない。
パックツアーは時間との戦いであり、ガイドが以下に時間配分をうまく行うかがカギなんだろう。
この辺りは写真のみが多く、この遺跡にまつわる特別な伝説はゲットできず。


ところで、上の写真の建造物の階段のところで、観光客に何やら話しかけている女の子が見える。

女の子


この子は腕に「クロマー」という綿製のカンボジアのスカーフを持ち、観光客相手に売りに歩いている。その他にも腕輪やバッグなどを握りしめ、子供たちは観光客を見ると駆け寄ってくる。

年のころは4~10歳くらい。幼稚園から小学校くらいとみた。
皆一斉に駆け寄り、それぞれ叫ぶ。

「おねーさん、これ全部で
イーチードールゥ

「1ドル、1ドル」の大合唱。

たまに、まとめ買いお得セールもしてくれる。

「これー、1つで1ドール。
3つで5ドール。

・・・高くなっている。


その頃はちょうど小学校が夏休み期間だったとのことだが、こんな小さな子供たちが観光客相手に商売するのを見ると、とてもせつなくなった。
あまりにかわいい子供たちなので、写真を撮りたいのはやまやまだったが、なんとなくためらわれて旅行中偶然写ったこの1枚だけなのでした。
2006.09.25 / Top↑
南大門から車で数分進むと、「バイヨン」に到着。

石造りの建造物が目の前に拡がる。

ここも観光客がうじゃうじゃ
バイヨン全景


塔の上部をよく見てみると・・・
やっぱり、あるある。

全部の塔に顔がある!

四面塔の拡大


非常に申し訳ないが、遠くから見ると
心霊写真
のようだった・・・・。


塔の周りは壁で囲まれ、壁面いっぱい彫刻で埋め尽くされていた。

戦いに出かけるクメール傭兵・中国人。
クメール人の場合、耳たぶに重いピアスをつけて耳を長くするのがはやりだったので、見分けるのに役立つらしい。

バイヨン壁画

壁画をしっかり見ていくと、ものすごく時間がかかります。



階段を昇ると、ようやくお顔にご対面。

数ある中で一番有名なお顔
有名な観世音菩薩像


近くで見ると、とても穏やかで美しかった。
これは観世音菩薩像らしく、バイヨンには全部で54の顔があるようだ。
それぞれ顔は異なり、バイヨン建築に携わった人々の顔をモデルにしているとか・・・。


また、デバターという女神像もあちこちに。
これも表情どころか服装、髪型全て違う。

ニコニコ笑うデバター
かわいいデバター



バイヨンを造らせたジャヤヴァルマン7世は、今でもカンボジア国民には絶大な人気を誇っている。
何でも、大乗仏教に深く帰依し、慈悲深い王だったらしい。


ツアーのため、バイヨン見学時間は1時間弱。
壁画をしっかり見てたら、足りません。

後ろ髪引かれる思いで、次の見学先へ向かうのでした。
2006.09.24 / Top↑
一眠りした後、再び集合。
まずアンコール・トムという、アンコール・ワットの近くにある遺跡へ出発しました。

シェムリアップからバスで15分程度で南大門というところに到着。

中央が南大門。右側が阿修羅たち、左側が神々。
南大門


南大門にはヒンドゥー教の天地創世で知られる「乳海攪拌」という神話に基づいて造られたらしい。
乳海攪拌とは、不老不死の薬「アムリタ」を造るため、大マンダラ山に大蛇を巻きつけて片方から神々、もう片方から阿修羅たちが綱引きをして山をグルグル回し、海を攪拌した話だそうだ。

神々が蛇の胴体で綱引きしている
綱引きをする神々


蛇の胴体はボロボロで欠けているところが多いですが、神々は綱引きしている割には穏やかでニコニコしていて、なんだか微笑ましいこっけいな像でした。

神々の顔


ちなみに、大蛇は神々から「不老不死の薬が欲しいなら綱になれ」と言われ、欲しいためしぶしぶなったらしいが、綱引きが痛くて痛くて途中で死んでしまい、薬はもらえなかったらしい。

かわいそう。


塔に4面の顔がついた南大門をくぐり抜け、更にバスで進むとバイヨンが出迎えてくれます。

塔のそれぞれの面に顔がついている
南大門
2006.09.24 / Top↑
9月15日 現地時間3時50分起床。

これは、もう若いとは言えない私や更にその母には結構辛い時刻でした。
とりあえず化粧をして、4時40分に迎えにきたバスに乗り込む。

他2軒のホテルを回り、メンバーは18人になりました。

チェックポイントで、まずたいていのアンコール遺跡で使える写真つきの3日券を作成(ガイドさんが作りに行ってくれた)。

こんな早朝にもかかわらず、周りにはバスやらタクシー、バイクで続々と観光客が集まってくる。
昨夜は雨が降っており、更に雨期であるため、太陽が拝めるかどうかは全くわからない。

まだ暗い中、5時10分頃にアンコールワット前の駐車場に到着。

暗闇の中にうじゃうじゃ観光客がたむろする、
はっきりいって異様な光景が拡がっていました。
しかもほとんど日本人。

真っ暗だけど、うっすら3本の塔が見える。日本人がうじゃうじゃ
夜明け前のアンコールワット


10分ほどすると、徐々にアンコールワットの3本見える塔の左側から明るくなってきた。

うっすら夜明け



分刻みで変わっていく空に釘付けで、とりあえず写真を撮りまくる。
「地球の歩き方」に『とりあえずシャッターを切れ』と書いてあったので、正直にそれに従い撮りまくった(しかしデジカメにあまり詳しくないため、設定はいい加減)。

5時50分頃、美しい朝焼けとなった。

朝焼け

塔の中央から朝日が昇る素敵な時期もあるようです
朝日



本当はアンコールワットから丸い太陽そのものが昇るのを見に行ったのだが、やや曇り気味なため、完全には見られなかった。乾期にはそういうものも見られるらしい。
まあ、雨期だし朝焼けでよしととするか。

完全に日が昇りきった後、朝食を食べに一旦ホテルへ引き返しました。

もちろんまた睡眠・・・。
2006.09.22 / Top↑
およそ1時間遅れでホーチミンからアンコールワットのあるシェムリアップに到着。
既に20時を過ぎていた。

あらかじめ取ってあったビザつきのパスポートを見せて、無事入国。

シェムリアップ空港は、荷物受け取りロビーからして、これから先に待っている素晴らしい出来事を想像させるような造りになっている。

空港の像


これらの像の他、アンコールワットを思わせる壁画などが空港から外に出る通路の壁一面に飾られていた。

外に出ると契約したツアーの現地ガイドさんがお出迎え。
一緒になったグループメンバーと軽く挨拶して、ワゴン車に乗り込みシェムリアップ市内へ。

21時頃に遅めに夕食(この日は中華で、内容はイマイチだった)を取り、ホテルに到着。


「明日はアンコールワットから昇る朝日を見るので、

4時40分に集合です!

というガイドさんの屈託ない笑顔に、これから果たして体力が持つかどうか不安になるのでした。

空港内は世界遺産を意識した飾りでいっぱい
空港の装飾

2006.09.20 / Top↑
9月14日 関空→ホーチミンへのベトナム航空に乗り込んだ。

ベトナム航空


ホーチミンには現地時間(-2時間)で14時過ぎに到着。

トランジットのため並んでいると(これが遅いんだ)、横から空港係員のお姉さんから便名を聞かれた。答えると、なにやら変な紙をくれた。
どうも、17時にディナーを取りに来い、と。

ディナークーポン


ディナーってたって、どうせ、サンドイッチか何かでしょー。

と思いつつ、16時頃言われた場所へ偵察に行ってみると、お兄さんが小さなカウンターを設置していて、その上に水色のタッパーに入ったお弁当らしきものが載っていた。

見かけ上おいしいものには思えず、アヤシイなあと思い、受け取るかどうか迷ったが、何事も経験と思い、受け取る。


お弁当


ひとつは白身魚のフライとポテト、もうひとつはビーフとマカロニでした。いずれも温かく、お弁当にしては味はボチボチ、意外とほっこりするひとときでした。

次のフライトまで時間があるときは、こういう計らいをする航空会社もあるのか、と感心しました。

ちょっぴり幸せな気分で出発便掲示板を見ると、アンコールワットのあるシェムリアップ行きの便は既に1時間近く遅れているのでした。
2006.09.19 / Top↑
昨日アンコールワットから帰ってまいりました。

想像以上に体力のいる旅でした。

しかし、それ以上に得るものは大きく、感動は言葉では言い表せないもんです。


私は母と行ってきましたが、実際同じようなツアーでバス移動した人は断然若者が多い!
私の年齢はさておき、大学生グループがかなり多いようでした。
母と同じような、あるいはそれより上の年齢層のグループも見かけましたが、どちらかというと添乗員べったりのツアーで無理をしないスケジュールのように見えました。

30度半ばの蒸し暑い炎天下の中、ペットボトルやガイドブック、レインコートなど入ったかばんを肩から提げて、急な勾配の遺跡の階段を昇り降りするのは、結構きつい!
アンコールワットから昇る朝日を見ようと思ったら4時起きだし。
母は途中でダウンしました。
私も平気なつもりでしたが、帰国した昨日は寝たきり状態。
今日は早速当直で、妙になまった身体にリハビリします。

旅行記は少しずつアップしていきます。

聖池に映るアンコールワット
聖池に映るアンコールワット

2006.09.19 / Top↑
明日、いよいよアンコールワットに旅立ちます。

4泊5日のツアーですが、実際は1日目は夜にシェムリアップに到着し、5日目早朝にはもう日本という、あわただしいスケジュール。
きっと追い立てられるように遺跡めぐりをすることになるでしょう。


帰国後はまた旅行記をアップします。
お伝えできるようなびっくり体験を期待しています。

今日はこれで・・・(仕事が意外に片付かず、力尽きてしまいました)。
2006.09.13 / Top↑
アテネからフランクフルトへ移動する日。

ユースホステルから石畳の坂道を、トランクを押し転がしながら(古いタイプで引っ張る取っ手がついてない)登っていました。

ようやく登りきり、ほっと一息ついたとき、

ガリッ

と何やら鈍い音が。
その直後よりトランクは急に動かなくなりました。
恐る恐る見てみると、なんとキャスターの前輪のタイヤゴムが見事に敗れていました。

さすが、石畳。

っていうか、これから3カ国回るのにこの後どーすんのよ!

青ざめて、シンタグマ広場前の大通り沿いにあるホテルのボーイに必死で
「これ直すところ知らない?」
と聞くが、答えはノー。

次第に空港行きバスの出発時刻も近づいてきたため、とりあえず重いトランクを抱えてなんとかバスに乗りこんだ。

空港のバッグ専門店でも、直せるかどうか聞くが、
店員のおばちゃんは無関心に「ノーノー」
仕方ないのでトランクを買うことに。
フランス製のトランクはけっこう高かった。

「トランクの荷物を詰め替えたいんだけど、いい場所ないかな?」
と聞くと、

「あそこがいいよ」
と無愛想におばちゃんが指差した先は、なんと飛行機から降りた客などの往来の激しい通路。

『あんなとこで詰め替えられるか!
ふざけとんのか!』


とは思うものの、もちろん言えず、
「あそこはちょっと・・・ね」
とはにかむと、

「じゃあここでどうぞ」

狭い店内で客に見られ、よけられ、笑われながら、
トランクを大開きにしてもくもくと荷物を詰め替えたのでした。

更に、トランクみたいな大きなゴミは空港内では捨てられず、しぶしぶ目的地のブダペストまで空トランクと共に飛んだのでした・・・。
2006.09.12 / Top↑
「パパゲオルギウ」とは、設立者の名前らしい。
テッサロニキで有名な大病院。かなりきれいで出来たばかりの様子。
病室はかなり清潔に保たれていました。

患者さんは、主に心筋梗塞後に回復してきた人たちで、そこそこ元気で余裕があった。
いかにも「ヨソ者」である私に対しては、意外に興味を持って接してくださった。

英語が中途半端な訳だから、難しいとされるギリシャ語なんてものは当然話せるわけはなく、ほとんど英語がわからない患者さんたちの中ではひたすらにっこり笑うという手段しかありませんでした。

病院の食事は私が3週間見ていた限り、メニューは毎日同じ!
朝:パンとフェタチーズ
昼:にんじんのグラッセに鶏肉の煮込み1匹(丸ごと)

途中でこっちが逃げ出したくなるようなほど同じメニューの繰り返しでした。


アスィナ先生は非常に親切だけど、日々のルーチンワークをこなすのみ、といった感じ。やる気は、あまりない。

ある日、一人の患者さんの尿バッグが真っ赤になってたため、積極性を出して質問した。主治医はアスィナ先生と思われる。

「どうしてあの人は血尿が出てるの?」

という問いに、

「知らなーい。

泌尿器科が担当してるわ」

との答えだった。

あまりにあっさり無関心な答えに驚いたのでした。


病院入り口の看板
左列から「ノソコメオ(病院) パパゲオルギウ」

病院看板

2006.09.11 / Top↑
本来の目的である「病院実習」は、テッサロニキ到着後5日目からスタートしました。

「パパゲオルギウ(ΠAΠAΓEΩPΓIOY)病院」というテッサロニキ中心部からバスを乗り継いで50分(遠い!)のところにあるきれいな私立病院でした。

実習病棟は、当時志望科であった循環器内科(今は別の科が専門)。日々心筋梗塞や心不全などの患者の治療に当たる科でした。

病室大部屋は4つベッドあり、カーテンはなし(プライベートなし)。必要であれば、人前でパンツも脱がされる。

朝8時過ぎから若手の女医アスィナ(AθINA)先生と共に、入院患者全員の血圧測定・心電図をとりながら回診していました。

ところが、心電図をとるにあたり困ったことに気づきました。

心電図をとるとき、胸には6つの電極をつけます。
電極はシールタイプのものもあれば、古いものだと胸に直接吸盤でくっつけるタイプもあります。この病院にあるものは後者でした。
吸盤が皮膚にくっつくには、皮膚表面がある程度すべすべでないとだめなのですが、

みんな毛深い!

胸毛が邪魔で吸盤がくっつかない。
必死で掻き分けたりしてくっつけようとしたがくっつかない。
困って目でアスィナ先生に助けを求めたら、

「yumitz、チッチッチッ」

と「yumitzはおばかさんねえ」といった雰囲気で近づき、ボールペンを2本取り出し、くっついていない吸盤を胸の定位置に置いてボールペンで上から押さえ、

「スタートボタンを押して」

出来上がった心電図はブレもなく美しい仕上がりでした。


隣のベッドの患者さんも、顔つきから毛深そう。
恐る恐るTシャツをめくると、

吸盤をつける部位の胸毛が10円玉大ずつ計4ヶ所剃ってありました・・・。


初日からカルチャーショックでくらくらしました。
2006.09.10 / Top↑
5年前の春、パリ→アルル→バルセロナ→マドリッドを列車で巡る旅に出かけました(実は遅ればせながらの初めての海外旅行)。

初めて訪れるファッショナブルなパリ。素敵な街並みとおしゃれな人々の中で、浮かれながら有名なデパート ギャラリー・ラファイエットに入りました。

友人と2階のお手洗いに行ったところ、中から出てきた若い日本人女性にいきなり声をかけられました。

「あのー、すみません

私の髪、どう思いますか」

『えー、どう思うって、一体なに?』
と思っていると、向こうからぺらぺら語りだした。

「実は、ついさっき、パリの美容院でパーマを当ててもらってきたところなんだけど。ちょっと不安で。率直にどう思いますか?」

と真剣に語る彼女の髪の毛は、外国の女優のような、ボリュームあふれるパーマヘア。
はっきり言って、パリならいいけど、日本ではちょっと・・・という感じのライオンのたてがみのようなゴージャスヘアだった。髪はフランス人でも、顔は日本人な訳だし・・・。

既に仕上がっているのに、今さら何を言えというのか。
しかし、きっと勇気を振り絞って行ったんだろうし、彼女には似合ってないこともない、よね。

ということで、友人と共に

「いいと思いますよぉ」
「日本でもきっと大丈夫ですよ~」

と褒めちぎってそそくさと去ったのでした。


その後、彼女はそのまま無事に日本に帰ったんでしょうか。
もし日本ですぐにパーマ当てなおしたりしてたら、ちょっと寂しい。
今のような巻き髪ブームの日本だったら、目立たなかっただろうにな。
2006.09.08 / Top↑
まず、留学先となったテッサロニキとは一体どこか。

ギリシャ北部にある、首都アテネに次ぐギリシャ第2の都市。とはいうものの、アテネの人口が340万に対し、80万と大差があり、かなりこじんまりとした都市です。

観光地というよりは商業都市であり、滞在中に日本人観光客には一度も会えませんでした。地味な都市だからツアーにも組まれてないし。アテネオリンピックの時にサッカーの試合で一度名前が出たっきりかもしれません。


だから、日本人どころかアジア人自体が珍しい。

バスに乗ると、店に入ると、皆が一斉に見る。おじいちゃん、おばあちゃんは間近で遠慮無くまじまじ見つめ続ける。

また、1人で歩いているときは、警察官にはパスポートを見せろとすごまれる(そんなアヤシイ格好はしてなかったはず)。

これに関しては軽くムカついたため友人に愚痴ったら、
なぐさめてくれたが、

どうも、不法入国のアジア人と間違われた可能性が高いらしい。

「最近、国境を勝手に越えて入国する人が多いのよ~」

だって。

傷つきつつ、愛想笑いしてしまいました。


ビザンティン帝国時代の教会。名前は何だったっけ?
ビザンティンの教会
2006.09.07 / Top↑
近々アンコールワットへの旅を予定しています。

といっても、夏休みが平日2日しか取れなかったため、休み3日間とあわせて5日間のかつかつプラン。予定を立てる暇もあまりないため、某旅行会社のツアーなのです。

東南アジアへ旅行するにあたって、よく話題になるのが

予防接種

恐らくたった5日間(実質4日・しかもツアー)の滞在では、感染の危険はほとんどないと思います。
しかし、当院には感染症科があり、毎日のように海外から帰ってきたばかりの旅行者(インド帰りが多い)が旅行感染症で入院してきます。
ホント、毎日のように・・・。
まあ、みなさんたいてい元気に退院していかれますが。

不安です。とても他人事とは思えません。
感染症科の先生も思うことは同じようで、アンコールワットに行くことを伝えたら、
「予防接種しときなさい」
とのこと。


というわけで、先日1ヶ月おきに計2回
A型肝炎・破傷風・狂犬病・日本脳炎
の予防接種を受けました(職業柄、B型肝炎は接種済)。

狂犬病注射が痛いのなんの。
おまけに全て保険外診療であるため、出費もかなり痛い。

まあ、元々どんくさいため、私が旅行するには案外必要かもしれない、と自分に言い聞かせて。
あと10日ほどで出発です。
イエローカードイエローカード

2006.09.06 / Top↑
昨年7月にヨーロッパ短期強行旅行に行った帰りの飛行機の中で。

私は仕事の都合で、友人より一足先にパリからミラノを経由し、アリタリア航空で関空へ帰るところでした。

ミラノからはほとんど夜であり、ボーっと個人用テレビを見ていたところ、今までありそうで聞いたことなかったアナウンスが・・・。


「機内で体調不良の方がおられます。お客様の中でお医者様はおられませんでしょうか。もしおられましたら、客室乗務員までお申し付けください」


にわかに緊張感が走る。

私は医者といっても、研修医をついこないだ終えたばかりで病院ではまだまだ下っ端。しかも、そこそこ大きな病院というものは、絶えず同僚たちと意見交換しながら診断・治療を進めていくのが基本である。治療を進めるにあたっては、似たような症状を示す別の疾患と間違わないよう、随時必要な検査が行われていく。

しかし、今は一人ぼっちで空の上。機内には救急箱があるとは聞くが、この外資系の航空機に普段と同じ薬や道具が載っているとは到底思えない。実際のところ、慣れない環境での仕事は慎重に行わないと危険である。ひとつ間違うと患者さんの命すら左右してしまうかもしれない。

ところで、患者さんはどんな状態?
まさか、かなり危険?意識は?
もっとベテランの先生が名乗り出ないかしら??


「お客様のなかで・・・」

2回目のアナウンスが入ったということは、他に誰も医者が乗っていないということか。これはまずい。

覚悟を決めて、近くのイタリア人客室乗務員を呼び止める。

「I am a doctor」

すると、彼女は振り返り、私を見てしばらく無言。
『えー?あんたが??』
とでも言わんばかりだ。
しかし、その後、

「カモーン!」

と言って私についてくるよう促した。

連れて来られた所はビジネスクラス。中年の日本人男性が床に横たわっていた。横に日本人乗務員が心配そうについていた。
意識は、ある。気分が悪いらしい。
救急箱は医師同席の下で開けられるらしく、中を開けてもらいまさぐっていると・・・、

なんと、もう一人男性が現れた。30代半ばの、少なくとも私よりベテランの医師!!神経内科の先生らしい。
今までの張り詰めた緊張が少しほぐれ、すぐさま主導権をベテランに譲る。
あとはもうお手伝いお手伝い。
「あ、血圧測りますー」「脈とりますー」
などと、ひたすら補佐につとめたのでした。

少し血圧が低くなっていたらしく(本人曰くたまにあるらしい)、機内の椅子(ビジネスクラスなのでむしろベッド)にゆったり寝て様子を見ることになった。とても良い先生で、丁寧に患者さんに説明されていた。

よかった。

何もしていないが、なんだか満足して自分の席についたのでした。


帰国後2週間ほどしてから、アリタリア航空からお礼状と共に小包が届いた。お礼の品か!!
開けてみると、ベージュのキャンバス地のトートバッグが入っていた。
Made In China

「これを使ってこれからも仕事頑張ってね」
ということかも、と思い、今は当直お泊りセット入れとして活躍しています。

プレゼント

2006.09.05 / Top↑
テッサロニキでは、受け入れ先のアリストテレス大学(なんか名前がかっこいい!)医学部生の下宿の一室でやっかいになりました。

学生の溜まり場で、しょっちゅう人が出入りしていました。

その頃は留学生があまり来ない時期でもあり、チェコから1人女の子が来ているのみでした。背の高い女の子、オルガ。この子がこれからの1ヶ月の滞在での心のよりどころとなるのでした。


部屋に到着して早速数人でお茶することになったのですが、一応2ヶ月ほど英会話教室に通ったにも関わらず、言葉が出てこない私。しかも、皆はギリシャ語なまりの英語。

しまった・・・。英語が母国語でないため、聞き取りにくい・・・。
まあ、当然のこと。ゆっくり話してもらったりしてようやく理解に至る。こちらも日本語なまりでなんとか応対。


テレビでは「クイズ$ミリオネア」が放送され、出演者・観客がかなりヒートアップしていました。ギリシャの司会者は、我が国が誇る(?)司会タレント○のもんたみたいににやにやしながら答えを言うまで引っ張ることなく、意外にあっさり正解を白状する(たぶんこれが普通だろう)。


ところで、欧米の人々と話していていつも思うのだけれど、会話の所々に出現する、
「私のママの作る料理は世界一なの~!」
みたいな会話にはどう対応したらいいんですかねえ。

「すごいわね」
って言っても会ったことも食べたこともないし。

「私のママもすごいのよ」
って言っても向こうは気を悪くするし。

なんか、周りは普通に流してる感じでしたが。


こうやって、ギリシャ初日の夜は無事過ぎていきました。


待ち合わせ場所は凱旋門
凱旋門

2006.09.03 / Top↑
まだ学生だった頃。
6回生になったばかりの春に、医学部学生団体が主催する交換留学に参加してきました。現地の病院で希望の診療科見学・実習をさせてもらえ、更に必要経費は7万円+交通費というお得なプラン。

なぜギリシャなのかというと・・・

英語に自信のない私。かといって、イギリスやアメリカなど、英語が母国語の人々にベラベラしゃべられるのもしゃくに触る・・・。

そんな訳で
「受け入れ先も私と会話するのに努力をして英語をしゃべり、なおかつ治安のいいところ」
という、受け入れてもらう割には図々しい理由でギリシャに飛び込んだのでした。

アテネに希望を出しましたが、正式受け入れ先はギリシャ第2の都市、テッサロニキ。親からも「そこは一体どこなんだ?」とつっこまれながらも、初めての一人旅が始まりました。


2002年4月5日9:20に関空発のルフトハンザ航空に乗り、フランクフルトへ。アテネに到着後、オリンピック航空(機体のマークは、お馴染みの五輪マーク、かと思えば更にもう一輪加わっている)に乗り換え、4月6日の夜にテッサロニキに到着したのでした。

テッサロニキの中心部 ホワイトタワーホワイトタワー

2006.09.03 / Top↑
10年来の友人の薦めにより、ブログを開設することになりました。
テーマは職業とは離れて「旅行」。
過去・現在含めて旅行先での出来事をお伝えできればと思います。
少しずつのアップになるかと思いますが、気長にご覧ください。
2006.09.03 / Top↑

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