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4年前の夏休み、私は母と共にバンコクを訪れた。
あのときは、前年に長期の一人旅をこなしたことによる妙な自信より、「航空券とホテルのみ」の完全フリープランをわざわざ追加料金を払って選んでいた。

しかしその分、ガイドブックはかなり熟読しており、タイにはぼったくり、スリ、詐欺などの類が非常に多いことを理解し、かなり警戒していた。

いや、警戒していたハズだった。

バンコク観光初日、ホテルからタクシーに乗ったが、運転手がメーターを倒すかどうかにも目を光らせていた。
はっきりいって、かなり緊張していた。


しかし、観光名所である王宮やワット・ポーなど素晴らしいところをめぐるうちに、緊張感は少しずつ解けていった。

王宮周辺の施設を観光し終わり、私と母は徒歩で国立博物館に向かおうと歩道を歩いていた。

歩道沿いにはトゥクトゥクと呼ばれるオート三輪車が観光客を乗せようと待っている。

ふと、一人の運転手が私たちに声をかけてきた。

「どこへ行くの?
国立博物館は今日は休館日だよ。」

えーっ、今日はあいてると思ったのに。私と母は顔を見合わせてがっかり。

「どこへ行きたいの?行きたい場所を教えてくれたら回ってあげるよ。」

博物館の休みを教えてくれた上に、さらにトゥクトゥクで観光をしてくれるという。
私はガイドブックの地図で、行きたい場所にマルをつけて頼んだ。

「オッケー」

と引き受ける運転手。

私たちは何の疑いもなく乗り込んだ。


最初に着いたのは、なんだかほとんど観光客のいない寂れた寺。

なんだかおかしい。

ここはどこかと聞くと、

「ここはとても神聖な寺。あの仏像は
ラッキーブッダ
だよ。」

指差した先には、確かに大きいけれどなんだかやたらと金ピカな仏像がある。地図で探したが、そんな寺は載っていない。
でも、地元民風の親子がそのラッキーブッダにお参りしにきていたので、

「地元の人のみが知ってる穴場の寺なんだな」

と自分に言い訳する。

だいたい自分に言い訳が必要になってきた時点で、自分の中の潜在的な「アヤシイぞアンテナ」が反応しているはずなのに。

その後、そこのお坊さんの社務所のようなところに案内された。お坊さんは私たちにお茶を出してくれた。涼しくて快適だった。
ここで雑談。日本からきたことなどいろいろ話がはずんだ。
お坊さんは、日本人に知り合いがいる、と言っていたため、更に話ははずんだ。
お坊さんはおだやかな顔で、私たちの旅が素晴らしいものになればいいね、と言ってくれた。

その後、再び乗り込み、トゥクトゥクは走り出す。

次はどこに行くのか聞くと、

「今日は1年で1度の宝石の大バーゲンだ。その店に連れて行ってあげる。」

鈍感な私もさすがに「これはマズイ」と気づき始めた。
私たちには時間がないからそんなところへは行かない、と言うが、運転手は無視。私たちも飛び降りる訳にはいかず、連れて行かれるがまま。

ついに、宝石店の前までやってきた。

ようやく停車したトゥクトゥクから降り、

「帰る!!」

というと、運転手は、

「こんなお得な日なのに、どうして帰るんだ!」

と困った顔をする。

しかし、さすがにここまでアヤシイところに入る訳にはいかず、最初に交渉したお金を投げつけて、母を引っ張り駆け足でその場を逃げ出した。

追ってはこなかった。

駆け出したはいいが、ここがどこだかわからない。
だまされたことに対して、腹が立つやら情けないやら。涙がにじんできた。
しばらくウロウロ歩き回ったが、結局途中でタクシーを拾い、知った駅まで乗せてもらった。


ホテルに帰ってからよくよくガイドブックを読むと、今回のエピソードはまさに教科書どおりのストーリーだった。
もう、かなり有名なエピソード。
宝石以外に、高級仕立てスーツなどのバージョンもあるようだ。

あんなにガイドブックで被害事例を勉強していったのに、どうして同じように引っかかってしまうのか。

きっと、中途半端にしか体験がないにも関わらず
「自分は独りで旅ができるんだ」
という、根拠のない強がりが原因のひとつだったと思う。

こういう強がりは実は不安の裏返しであり、ああやって親切に声をかけられると、ホッとして気が緩んでしまうんだろう。
まさに向こうの思うツボ。
まあ、特に何も被害はなかったし、今から思えばいい勉強になった。

あと、自分の第六感「何か変だ」を感じたら、それは結構当たっていることが多いようだ。その「何か変だ」に言い訳をし続けると、どんどん深みにはまってしまう。


海外旅行、実は慣れてきたときこそ危ないという。

これからもいろんなところに行きたいが、どこに行くにも気を引き締めて、初めて海外旅行に行ったときの緊張感を思い出してのぞもうと思う。


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2007.06.20 / Top↑
平成13年春、友人と出かけたヨーロッパ旅行。

ユーロパスユース(あの頃は若かった)を使って、アルルから列車を乗り継いでバルセロナに向かう途中、列車の中で8人の男の子たちに出会った。

8人は皆同じ大学の学生で、春休みを利用しての旅行だった。
同じ旅程でバルセロナへ向かうという。初海外の人が多かった。


8人は、なぜかみな
不機嫌
だった。
お互いのちょっとした会話もトゲトゲしていた。

不思議に思い、少しずつ話を聞いているうちに、原因が明らかになってきた。

彼らはイタリアの方から列車の旅を始め、既に10日程度経過していた。
彼らが日本で手配したのは日本⇔ヨーロッパの航空券のみ。
移動のたびに宿・食事をその場で調達してきたのだが、

その宿・食事が

ことごとくまずかった

「学生貧乏旅」という名目で食事代をなんとなくケチるため、やはり比較的おいしさランクは低くなる。
「まずいものしか食べてない」と1人が語る。

また、「8人皆泊まれる」を条件にすると、やはり飛び込みで泊まれるホテルばかりではなく、しかもやみくもに探したためものすごい労力を費やしたようだ。


「でも、安くていいホテルとか、安くておいしい名物料理の店とかって、ガイドブックにある程度載ってるやん」

と私の友人が言うと、

「だって、このガイドブックしか持ってないんだもん」

と1人が差し出した本は

「地球の歩き方ヨーロッパ」

確かにヨーロッパ一周には最適な本だろうが、それぞれの街についての観光情報は当然少なくなる。8人でたったこれ一冊って・・・。
1人ずつ別の本を買って持ってきてたらよかったのに・・・。


終点バルセロナ・サンツ駅が近づくにつれて、皆さらに憂鬱な顔になってきた。
リーダー格の1人が私たちのガイドブックを参考に、今日の宿を決めようと声をかける。

「どんなホテルにする?」

皆憂鬱そうに顔を見合わせる。もう宿を決めるのも面倒くさそう。

ある1人が叫んだ。

「俺、吉野家の牛丼があるホテル!」

すると、
「俺も!」「俺も!」
と、声が上がった。

頭を抱えるリーダー。

駅を降りると8人は今日の宿を探しにインフォメーションに向かっていった。

後でバルセロナ市内で8人組と偶然再会。
無事宿が見つかったらしい(もちろん牛丼はない)。
よかった。


この後、彼らがどんな旅になったかわかりませんが、更に面白おかしい(面白いのは周りだけ?)旅になったことでしょう。
こんな苦労した旅は、ずっと後になっても忘れずに残るいい思い出になるんでしょうね。

2006.12.26 / Top↑
平成14年の春休み、フランクフルトから関空に向かうルフトハンザ航空機内。
私は個人旅行から帰るところで、一人感慨にふけりながら座っていた。

機内は結構がらがらで、窓際は2席を一人で使える優雅な空間。
「これから日本に帰ってまた現実に戻るのか・・・」
それまでの旅を思い返し、静かに過ごしていた。


と思ったら、すぐ後ろの席が騒がしい。

「・・・お客様、機内では持ち込みのワインは開けられません。」

振り返ると、年の頃は30代半ばの男性が一人。出張帰りのようだ。
乗ったときから既にほろ酔いで陽気。

彼は持ち込みのワインはあきらめ、乗ってまもなく配られた食事と共ににウイスキーやワインをしこたまおかわりしていた。

イヤな予感がした。


消灯後、酔っ払った彼はついに活動を始めた。
隣の席にぶつぶつ話しかけている。迷惑そうに応答する人々。

そのうち、私のシートを背中からノックしてきた。

「あのー、ここはどこでしょうか」

振り返ると、へらへら笑う男。

ムッ

「さあ、ロシアの上じゃないですか」
とそっけなく答えて、前を向く。

その後、うとうとしていると、上げていた2席を分けるひじ置きが
いきなりバタンと倒れてきた。

驚いて後ろを見ると、例の男がひじ置きに手を置いている。

「何するんですかっ」

「あの~、ひじが~、バタン・・・
ふふふ」


ムカッッ

無視して前を向く。

その男はその後トイレに立ったが、何分経っても帰ってこない。

と思ったら、
「お席はこちらですよー」
乗務員と共に懐中電灯で案内されながら戻ってきた。

その後もごそごそしていたが、
到着直前の朝食時にようやく睡眠されたようだ。

おかげでもっと寝られるはずが、
寝不足でへろへろになりながら帰宅したのでした。


素敵な旅の最後が、こんな酔っ払いのために・・・・
と思うと、怒りがこみあげてきて仕方なかったが、
今となってはこちらもふふふと笑える思い出である。
2006.09.30 / Top↑
アテネからフランクフルトへ移動する日。

ユースホステルから石畳の坂道を、トランクを押し転がしながら(古いタイプで引っ張る取っ手がついてない)登っていました。

ようやく登りきり、ほっと一息ついたとき、

ガリッ

と何やら鈍い音が。
その直後よりトランクは急に動かなくなりました。
恐る恐る見てみると、なんとキャスターの前輪のタイヤゴムが見事に敗れていました。

さすが、石畳。

っていうか、これから3カ国回るのにこの後どーすんのよ!

青ざめて、シンタグマ広場前の大通り沿いにあるホテルのボーイに必死で
「これ直すところ知らない?」
と聞くが、答えはノー。

次第に空港行きバスの出発時刻も近づいてきたため、とりあえず重いトランクを抱えてなんとかバスに乗りこんだ。

空港のバッグ専門店でも、直せるかどうか聞くが、
店員のおばちゃんは無関心に「ノーノー」
仕方ないのでトランクを買うことに。
フランス製のトランクはけっこう高かった。

「トランクの荷物を詰め替えたいんだけど、いい場所ないかな?」
と聞くと、

「あそこがいいよ」
と無愛想におばちゃんが指差した先は、なんと飛行機から降りた客などの往来の激しい通路。

『あんなとこで詰め替えられるか!
ふざけとんのか!』


とは思うものの、もちろん言えず、
「あそこはちょっと・・・ね」
とはにかむと、

「じゃあここでどうぞ」

狭い店内で客に見られ、よけられ、笑われながら、
トランクを大開きにしてもくもくと荷物を詰め替えたのでした。

更に、トランクみたいな大きなゴミは空港内では捨てられず、しぶしぶ目的地のブダペストまで空トランクと共に飛んだのでした・・・。
2006.09.12 / Top↑
5年前の春、パリ→アルル→バルセロナ→マドリッドを列車で巡る旅に出かけました(実は遅ればせながらの初めての海外旅行)。

初めて訪れるファッショナブルなパリ。素敵な街並みとおしゃれな人々の中で、浮かれながら有名なデパート ギャラリー・ラファイエットに入りました。

友人と2階のお手洗いに行ったところ、中から出てきた若い日本人女性にいきなり声をかけられました。

「あのー、すみません

私の髪、どう思いますか」

『えー、どう思うって、一体なに?』
と思っていると、向こうからぺらぺら語りだした。

「実は、ついさっき、パリの美容院でパーマを当ててもらってきたところなんだけど。ちょっと不安で。率直にどう思いますか?」

と真剣に語る彼女の髪の毛は、外国の女優のような、ボリュームあふれるパーマヘア。
はっきり言って、パリならいいけど、日本ではちょっと・・・という感じのライオンのたてがみのようなゴージャスヘアだった。髪はフランス人でも、顔は日本人な訳だし・・・。

既に仕上がっているのに、今さら何を言えというのか。
しかし、きっと勇気を振り絞って行ったんだろうし、彼女には似合ってないこともない、よね。

ということで、友人と共に

「いいと思いますよぉ」
「日本でもきっと大丈夫ですよ~」

と褒めちぎってそそくさと去ったのでした。


その後、彼女はそのまま無事に日本に帰ったんでしょうか。
もし日本ですぐにパーマ当てなおしたりしてたら、ちょっと寂しい。
今のような巻き髪ブームの日本だったら、目立たなかっただろうにな。
2006.09.08 / Top↑