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ドラマという町でアンナの家にお泊りした2日後、荷物をまとめてアンナと2人でバスで出発した。

ドラマからカヴァラへ行く途中に遺跡があるらしい。

黄線の上側はブルガリア クリックすると拡大します
フィリピ遺跡


フィリピ遺跡は道路を挟んで両側に存在する。
フィリピという名前の由来は、アレキサンダー大王の父フィリッポス2世らしい。
紀元前からビザンティン時代に至るまで、いろんな時代の遺跡が混在する大きな遺跡群です。

フィリピ遺跡 右上はローマ時代の野外劇場
フィリピアップ


ローマ時代の野外劇場、広場、運動場、初期キリスト教時代のバシリカ式といわれる様式の建築物、などがあるらしい(ガイドブックより)。

中央の3本柱はバシリカの巨大柱らしい 後から知った
フィリピ写真1


フィリピ写真2


歴史的背景をあまり理解せずウロウロしていたが、相当古い遺跡だったらしい。
外国人観光客がちらほらいる程度でとても静かだった。

4月終わりだが初夏のように暑い陽気であり、日差しがきつかった。
しかし、この光景では日陰もなく・・・。
更に日焼けする。


その後、バスに再び乗り込み、港町カヴァラ(KAVALA)へ。
北部ギリシャではテッサロニキに次ぐ第2の都市らしい。

ようやく会えたギリシャらしい海
カヴァラの海



ここでアンナとしばしボーっとする。
アンナは将来カヴァラに住みたいそうだ。
確かにうなずける海が素敵な町だった。
心も体も癒しでゆるゆるだった。


アンナのお父さんがドラマから車で迎えに来てくれた。

そこでお父さんから手渡される見慣れた鍵・・・。

なんと、アンナの家に

スーツケースの鍵を忘れていた。

アブナイ。
くつろぎのひとときがあると、ついつい気がゆるんでしまう。
皆と別れて一人旅になって、スーツケースの鍵がないことを想像すると、ゾッとした。
よく忘れた鍵を見つけてくれたもんだ。持ってきてくれて本当によかった。

ゆるゆる気分から一転、この後の旅行は気を引き締めて回ろうと心にきめた。


あと、前回お送りしたアンナの姉からの「日本LOVE」レターを受け取り、カヴァラの空港へ。

17:30 エージアン・エアライン(ギリシャ国内のエーゲ海中心に運航している)に乗り込み、アテネへ向かった。

エージアンエアライン

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2006.12.19 / Top↑
テッサロニキの病棟実習は4月26日で終了。

翌日からはギリシャではイースター休暇となったため、学生たちは一斉に実家に帰り出した。

それに便乗して、私は留学中居候させてもらっていた学生アンナの実家にお邪魔することになった。
それとともに私のテッサロニキライフも終了した(テッサロニキでの生活はこれからもアップしますが)。

4月29日 荷物を全てまとめて昼過ぎに出かける。
オルガも留学生活を4月26日に終え、既に荷物を全て引き揚げ旅行に出発したため、もういない。
居候していた部屋は翌週に新たにやってくるオランダからの留学生が使うらしい。少し寂しい。

長距離バスに乗り込み、テッサロニキから北東に進んだ山あいの町、ドラマ(Drama)へ向かう。

左下がテッサロニキ
ドラマ



Dramaのバス停で出迎えてくれたアンナのお父さんの車で自宅へ向かう。

アンナは3人姉妹の真ん中。
お姉さんとアンナ、私の3人で、早速街中のカフェへコーヒーを飲みに出かけた。

ドラマは、商店街などもそこそこあり、まあまあ大きめな町だったかもしれない。全体的にはやはりテッサロニキと比べるとはるかに田舎町だった。

若者向けのカフェに入り、夕方でやや寒くなってきたのに庭のオープンカフェに座る。
ギリシャの人はオープンカフェ好きが多いようだ。

庭には池があり、そこにはあひるがたくさん。
しかし、なぜか一ヶ所に集まりくっついていた。

寒いのか?
ドラマのカフェ


そのうち急に一斉に
「ガーガーガー」と鳴き出し、
なぜか一斉に池に飛び込んでいった。


アンナはとてもかわいく活発な女の子。
しかし、アンナの姉はなぜかなんとなく
「一昔前の日本のヤンキー風」
な風貌で恐いイメージであった。

実際話してみるととてもいい方だった。お姉さんはアテネでボーイフレンドと一緒に住んでいる。仕事は建築関係だそうだ。

そして、ボーフレンドと共に

日本LOVE!

だということだった。

そこからはひたすら「どれくらい日本に夢中か」を語りだした。

「ほら、これも!」

といって見せられたスタジアムジャンバーのバックには、

ドラゴンの刺繍が!

・・・それは、たぶん、中国文化だと思う。
アンナのお姉さんがなんとなくヤンキーっぽく見えた理由はこれだったのか!

しかし、目を輝かせてしゃべりまくる姿になんとなく気が引けて、指摘できなかった(いや、指摘した方がよかったのかなあ)。


更に、ドラマを去る時に、お姉さんから手紙を受け取った。
機内で開封したところ、

「私は日本を愛している。日本に絶対に行きたい。
それから、私の大好きなドラゴングッズをぜひ本場の日本から送ってほしい」

熱烈な”日本LOVE”レターが入っていた。

結局今もドラゴンは送ってません。
ドラゴングッズ、そんなに売ってないし・・・。


ドラマの山あいを散歩する羊の群れ 写真にはないが、男の子が群れの後ろにいた
羊の群れ


2006.12.16 / Top↑
ギリシャの人々はとても明るくパワフル。
そして、何よりも

ギリシャが大好き!

テッサロニキで出会ったおじちゃん、おばちゃんは、明らかにヨソ者の私に対して非常に興味を示してくれ、片言の英語でも必死に話しかけてくれた。

そこで、おじちゃんおばちゃんが必ず聞くのが、

「GREECE、カロ?」

「カロ」とは、ギリシャ語でκαλό。「良い」という意味。
つまり、旅行者の私に

「ギリシャってとってもいいでしょ?」

と聞いてるのである。

あまりに会話中に出てくる言葉なので、ギリシャ語をちっとも覚えなかった私でも覚えてしまった。

「カロ」

と返すと、とても喜んでくれた。

自分が日本のことをそんな風に聞けるだろうか、と考え込んでしまった。
それだけギリシャ人にとって、ギリシャは誇りなのである。
それは、とても素晴らしいことだと思う。


ある日、友人の実家を訪問した後、夕方にテッサロニキまで1人でギリシャ国鉄(OSE)で帰ることがあった。
禁煙車を探したらコンパートメントしかなかった。
もう夜になってるし、1人旅では安全面からコンパートメントはあまり利用したくなかったが、中には誰もおらずホッとして席に着いた。
すると、すぐ後に30代くらいのお兄さんと60~70代くらいのおじいさんが乗ってきた。まあ、危ない人ではなさそうなので同席することにした。

今日の日記を書き出すと、早速おじいさんが興味を示した。
2人とも一生懸命コミュニケーションを取ろうとするが、何しろ2人は英語が全く話せない。
持っていたギリシャ語単語集で、指差し会話を始めた。

どうも、2人は八百屋さんの親子で、ヴォロスという町で仕入れた野菜をアレクサンドゥルポリまで運ぶ途中だったようだ。

やはり、ここでも

「ギリシャ、カロ?」

と聞かれた。もう、挨拶代わりの言葉になっている。

その後、ガイドブックで次週訪れる予定であったアテネのページを予習しだすと、息子の方が身を乗り出してきた。

そして、
1ページめくるごとに

「パルテノン、ビューティフル!」
「ムシオ(美術館)、メガロメガロ(大きい)!!」
「クレタ、ビューティフル!」

と丁寧に説明してくれた。
おおよそ15分程度。ずっと。

この2人からもギリシャを誇りに思っていることが痛いほど伝わってきた。

その後、互いに無言になり静かにガイドブックを読み進めていたところ、いきなり息子が室内の電気を消した。
私たちのコンパートメントは真っ暗。

「えっ!!なんで電気消すの??」

驚いて息子を見ると、暗がりの中で息子がしぃーっ、と口に指を当てて見せた。
どうもお父さんがうたた寝を始めたので、寝かせてあげようと思ったらしい。

まあ、協力してもいいけど・・・。

と思ったら、その雰囲気を察知して起きたお父さんが、息子を少し叱り、電気を点けさせた。


テッサロニキの駅では降りた私を窓から見送ってくれた。
少々疲れたが、素朴なおじいさん、父親思いの息子さんとの出会いはとても心が温かくなった。


ギリシャの人々は今後もギリシャを誇りとし大切にしていくんでしょうね。こんな素敵な人々にまた会いにいきたいです。

テッサロニキ市内のパナギア・ハルケオン教会前の花壇
街中の風景3


2006.12.10 / Top↑
春のテッサロニキ。
街の中心部にある公園には花があふれ、活気がみなぎりつつあった。

パンジーが咲き乱れる
街中の風景2


公園に集う恋人たち・・・。

街中の風景1




これらはある休日、花があふれる街中を何気なく撮影したものである。
インスタントカメラであるため、帰国後に初めてこの写真を見ることになった。

すると、

撮影した時には全く気づかなかったものが写っていた・・・。



2枚目の写真を拡大してみよう。

拡大1


拡大2


公園のベンチに座っているのは、恋人たちでも何でもなく、

全て男性だった。

しかもちょっと年配の方たち。

みんな背広を羽織り、帽子を被っていてちょっとおしゃれ。
ステッキを持った粋な男性も見られる。
皆、思い思いに語り合い笑いあっている様子がわかる。

ちなみにこの日はイベント日でもなんでもない普通の休日だった。
日本で言う
「井戸端会議」
になるんだろうか。

日本の同年代の男性ではまず見られない光景。

この日がたまたまだったのかもしれないが(?)、
こんな風に年配の男性が大勢集って語り合うような環境があるって素敵だな、と思いました。

野良犬は公園でふて寝していた
犬のふて寝


2006.11.30 / Top↑
エレオホーリアに30分遅れでやってきたバスは、ハルキディキ半島のリゾート地のひとつである「カリクラティア」に到着。

海沿いの美しい町である。
先ほどと打って変わって、また日が当たり暖かくなってきた。

海岸はテルマイコス湾という湾に面しているらしい
カリクラティア海岸


4月はさすがにまだ海水浴できないため、辺りは閑散としていた。
夏にはきっとセレブな方々が近くのホテルに滞在するんでしょう。
きっとこのパラソルの下でゆっくり寝るに違いない。

夏の海水浴シーズンが目に浮かびます
夏の面影


海岸の風景


ぶらぶらと砂浜を歩く。

ふと、体に起こった変化に気づいた。

自分のジャケットから出た手が黒い!!

欧米人オルガを見ると、やや顔に赤味が差している程度。
あなたの顔が赤いということは、私の顔はもう既に黒いということか!

「知らん間にめっちゃ焼けてるやん!」

と慌てふためく私を見ても、オルガは最初

「焼けてる方がおしゃれなのよ~」

とか言って取り合わなかったが、

「これ、見てよ!」
と、ジャケットの内側と外側とで色が完全に違う私の腕を見せると、

「・・・あなた、焼けやすいのねえ。」

と同情してくれた。

ギリシャの北部と思って油断していましたが、春の紫外線は既にかなり強い模様。
紫外線をめいっぱい吸収して焼けちゃう日本人は、やはり日焼け止めが常時必要なようです。

仕方がないので、帰りのバスが来るまで砂浜のパラソルの陰で一休み。

どこかから犬も一休みしに来た
犬もリゾート


17時半すぎのバスに乗り込み、テッサロニキに無事帰還。
疲れきって、20時過ぎに日焼けの手入れもせずに寝てしまいました。

2006.11.26 / Top↑